<労供事業とは>
労働者供給事業関連労働組合協議会(略称・労供労組協)
労働者供給事業関連労働組合協議会(労供労組協)は労供事業を営む労働組合を中心に労働者派遣法の制定に反対する14労働組合が集まり、1984年2月に発足しました。
現在の加盟組合は19組合、組合員総約85万人、その中で約6、000人の方々が労働者供給事業で就労しています。
~ 発足の経緯と運動 ~
労供労組協発足前の1978年7月に行政管理庁は「民営職業紹介事業等の指導監督に関する行政監察結果に基づく勧告」を労働省に行いました。これは事務処理、情報処理等において企業に労働者を派遣して請負業務を処理する事業(業務処理請負業)が増加しているので、業務処理請負業に対する規制のあり方、そして、労働者供給事業の規制のあり方について検討するよう勧告したのです。勧告をうけた労働省は1978年10月、職安局長の私的諮問機関として学識経験者5名からをなる「労働力需給システム研究会」(会長=高梨昌信州大学教授)を設置しました。同研究会は、1980年4月、「労働力需給システムのあり方についての提言」をまとめ、労衝者派遣事業制度の創設と労働組合における労働者供給事業の廃止を提言しました。
翌月の1980年5月には、中央職業安定審議会に「労働者派遣事業問題調査会」(会長=石川吉右衛門千葉大学教授)が設置され、公益、労働者、使用者の委員に加えて、特別委貞として労働者供給事業を行なう組合と関係業界の代表も出席しました。調査会での議論は、労働者派遣事業の創設に賛成と反対の意見が平行線のままであり、調査会は1982年5月から2年半にわたり中断されました。労供労組14組合が「労働者派遣事業の制度化に反対する要望書」を提出しましたが、1983年11月、中立労連(電機労連)は「労働者派遣事業の制度化推進についての要望書」を労働大臣に提出し、調査会再開を求めました。そして、調査会は1983年12月に再開され、1984年2月には、事務処理サービス、情報処理サービス、ビルメンテナンス、警備の4業種に限定して、常用雇用の労働者派遣制度を創設すべきであるとの報告書がまとめられました。その後、1984年3月には中央職業安定審議会に「労働者派遣事業等小委貞会」(座長=高梨昌信州大学教授)が設置され、同年11月に「労働者派遣事業問題についての立法化の構想」と題する報告をまとめました。翌年、第102回国会に労働者派遣法案が提出され、労働者派遣法は1985年6月に成立、1986年7月1日から施行さました。
この労働者派遣法が成立する過程の中で、労働者供給事業が廃止されるのではないかという、危機感もあり、労供労組協は労働者供給事業を営む組合が中心になり、労働者派遣法制定に反対する組合で1984年2月に結成されました。
労供労組協は、結成直後の1984年4月に中央職業安定審議会に派遣制度の簡題点を指摘し、慎重審議を求める要望書を提出しました。また、シンポジウムの開催、パンフレットの作成などを行ない、労働者派遣に反対する運動を展開しました。1985年5月に開催した労働者派遣法に反対する集会には8,000名が参加しています。
派遣制度は、労働法の基本原則である労働者を雇用するものが使用するという直接雇用の原則から外れ、雇用と使用が分離され、労働者を使用するものが雇用責任を負わないという、使用者にとって非常に都合がよく、弱い立場の労働者にとっては雇用責任が保障されない制度となっています。
厚生労働省が2010年5月にまとめた労働者派遣事業の平成21年度事業報告の集計結果によると、派遣労働者数は340万人(常用型派遣労働者110万人、登録型派遣労衝者230万人)です。労働者派遣事業は、いまや、一時的・臨時的労働ではなく常態となっており、現在でも契約の中途解除、雇止めなどの派遣切りや社会・労働保険の未適用や契約内容とは違う労働など、さまざまな問題が噴出しています。
労供労組協がめざすものは、①強制労働、中間搾取を排除した労働市場の民主化、②労働者供給事業の民主的運営、③労働組合による労働市場への統制力の強化、④労働者による職業能力開発、⑤労供労働者の福祉の向上です。労供労組協は、労働者派遣法の制定反対をたたかい、労働者派遣法成立以降は、労組労供の普及と派遣労働者の組織化と地位の向上に努力しています。
~ 労働者供給事業と職業安定法 ~
職業安定法44条では「何人も、次条に規定する場合を除くほか、労働者供給事業を行い、又はその労働者供給事業を行う者から供給される労働者を自らの指揮命令の下に労働させてはならない。」とし、労働者の供給は禁止しています。
一方、45条では「労働組合等(労働組合以外では地方労働団体があり、労働組合の全国組織の認定が必要)が、労働大臣の許可を受けた場合は、無料の労働者供給事業をおこなうことができる。」と規定しています。
私たちの行う労働者供給事業は、この職安法45五条に基づいています。
また、職安法第4条6項および8項で、それぞれ「労働者供給」と「労働者供給事業者」について、以下の通り定義されています。
6 | この法律において「労働者供給」とは、供給契約に基づいて労働者を他人の指揮命令を受けて労働に従事させることをいい、労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律(昭和六十年法律第八十八号。以下「労働者派遣法」という。)第二条第一号に規定する労働者派遣に該当するものを含まないものとする。 |
8 | この法律において「労働者供給事業者」とは、第四十五条の規定により労働者供給事業を行う労働組合等(労働組合法 による労働組合その他これに準ずるものであって厚生労働省令で定めるものをいう。以下同じ。)をいう。 |
~労働者供給事業と労働者派遣事業 ~
労働者派遣法が出来る以前からコンピュータのソフトウェア開発やテレビ番組の製作現場などで労働者を他人に使用させ、料金を得る派遣が存在していました。この派遣的労働を追認し、合法化するために、労働者の保護を建前にして「労働者派遣法」が1986年7月に施行されました。
これらの派遣的労働は職安法第44条で禁止されている「労働者供給」にあたるものでした。
供給という概念の一部を切取り、労働者派遣法の枠組みの中で一般の企業にも供給を許したものが、この派遣なのです。
ただし、法律上は供給と派遣は別な概念ということになっています。
さらに、1999年12月には「改正派遣法」が施行され、それまでの専門的知識や経験が必要な26業種以外でも派遣が出来る(ネガティブリスト化)ようになりました。
供給と派遣の異なる点は、管理・統制の方法です。
歴史的にみて、労働者の「供給」には、供給業者による労働者の強圧的支配が伴っていました。その結果、「他人の就労に介入して利益を得る」中間搾取が発生して、「労働条件は、労働者と使用者が対等の立場において決定する」(労働基準法第2条)ことなどは期待すべくもなく、労働者を劣悪な労働実態におとし入れてきました。
労働組合による組合員の統制は、法内労働組合として規約に基づいた民主的なもので、強圧的統制とは根本的に違うものです。
労働組合による労働者の供給事業は、職安法第44条を守るために、すなわち、強圧的支配による労働者の供給を排除し、雇用の民主化をはかり、その業界を浄化するために、きわめて重要な役割を果たすものです。
もちろん、営利事業ではありませんから中間搾取は生じませんし、労働協約に基づく労働ですから、強制労働も発生しません。
一方、派遣法における派遣業者の派遣労働者に対する統制は何でしょうか。それは雇用です。
派遣業者は、派遣労働者を雇用することより支配・従属の関係が生まれます。すなわち前近代的強圧的支配に代わって、近代的雇用の装いで「自己の支配下の労働者を他に使用させる」労働力需給システムが登場し、政府によって公認されることになったのです。
「労働者派遣法」は、派遣される労働者の保護が建前になっています。しかし、根本的な問題は、使用者と雇用者の分離です。
近代的な労使関係は、なによりも労使の対等性が前提です。この派遣法のもとでの「雇用」には「対等な労使関係」以前に、「労使関係」すら存在しません。
そして、派遣先の「使用者」には、「対等な労使関係」の保障となる団体交渉に応じる義務が明らかにされていません。このような状況では、今後ますます増加 することが予想される派遣労働者の保護につながらないことは明白です。
しかし、労働者派遣法以降とくに一般(登録型)派遣は事務職を中心に広がり続けています。多くの主要な労働組合が、「派遣労働は職安法違反」、「派遣労働に反対」と言うだけで、増大しつづける派遣労働者の組織化・受け皿作りには必ずしも十分に取り組んでこなかったことがこの派遣業の蔓延、隆盛の結果を招いてきました。
労働組合の責任が問われています。いまこそ派遣業の対象となっている業種の産業別労働組合が、職安法第45条の「労働者供給事業」を開始すべきではないでしょうか。それが、無制限なピンハネに歯止めをかけ雇用の民主化をはかるため、労働組合に残された唯一の道です。