■全港湾
全港湾は、1946年に港湾労働者の全国組織として結成された。当時の港の状況は常用労働者3~4割、日雇労働者6~7割と言われ、多くの日雇労働者が 港で働いていた。職業安定法が1947年に制定されたのをうけて、労働組合による労働者供給事業の許可を取得する運動をはじめた。港で働く港湾労働者のほとんどが労供労働者で全港湾の組合員であるという港もあった。その後、港湾労働法が制定され、日雇労働者の常用化がすすみ、全港湾の労働者供給事業は衰退 していった。一方、トラック運転手が全港湾に加入するようになり、解雇された労働者の雇用を確保するためトラック運転手の労働者供給事業をはじめた。ま た、労働者供給事業を行っていた家政婦、看護婦の労働組合が全港湾に加入してきた。港湾運送事業の規制緩和がすすむなか、2005年には全港湾中央本部で 労働者供給事業の許可を取った。現在では、中央本部許可下の事業所は13支部15事業所となっており、港湾荷役作業員、トレーラートラック運転手、介護サービスの職業など22職種、計811名が労働者供給事業で働いている。また、支部独自で許可を受け労働者供給事業に取り組んでいる支部が5支部ある。
港湾労働法により6大港(東京、横浜、名古屋、大阪、神戸、関門)では港湾運送事業者に常用雇用されている港湾労働者を同一港湾の他の港湾運送事業者に 派遣する制度があるが、6大港以外の港湾では、外部労働力を調達するには、日雇労働者を直接雇用する以外にない。その時、港湾労働に慣れている全港湾の労働者供給事業の労働者を活用することが、港湾運送事業者にとっても有利なことであることが理解されてきた。労働者派遣法で港湾労働への派遣が禁止されているからこそ、この間、港湾労働者の労働者供給事業が拡大している。また、大手派遣会社が港湾労働に派遣をして摘発された事件があったが、派遣されていた労働者を派遣先の常用労働者にさせた。違法な派遣をなくし、雇用秩序を維持するたたかいが、労働者供給事業を支えている。
2000年に介護保険制度がスタートしたが、介護労働者の供給を行っている労働組合が介護保険の指定事業者になれるよう求めてきた。しかし、介護保険は 介護労働者を雇用する事業者に支給されることになった。そこで、全港湾は介護保険の事業主体である企業組合ケアーフォーラムを設立した。利用者のお宅に伺 い、ここまではケアープランにもとづく介護保険が適用される介護、それ以上は労働者供給事業による介護と使い分けをしているが、利用者の立場からすれば、 同じようにサービスを受けているとしか見えない。働く側からすれば、前者は労働基準法が適用され、社会労働保険が労働時間数に応じて適用される雇用労働者 であるが、後者は労働基準法も適用されない家事使用人なのである。 労働者供給事業で働く労働者の雇用と生活を安定させることができる労働者供給事業の制度づくり、労働者供給事業法(仮称)の制定を目指していきたい。
真島勝重
■新産別
新運転(新産別運転者労働組合)は、1959年に僅か数人のタクシー運転手が集まって当時の新産別に加入し、労供事業の許可を受けた労働組合である。中小零細のタクシー会社と一日当たりの営業収入に対する高い賃金歩率の労働協約を締結し、高度成長期の人手不足と相俟って急テンポで組織を拡大した。当時の組合員は、個別企業に就職せずに賃金の良い会社を選択する自由があった。つまり日雇い運転手として人手不足、売り手市場の中で高い賃金、労働条件を謳歌したものだった。最近言われる日雇労働者へのマイナスイメージとは全く正反対の価値観に立ち、終身雇用、年功序列賃金という個別企業に囚われことのない自由労働者としての自信と誇りをもって働いていたのである。そして、10年もたたないうちに関東と関西を合わせて6000名に近い組織の拡大を実現した。それこそわれわれが結成当初のような勢いに乗って今日まで組織拡大を果たしていれば、悪徳派遣業者の存在する余地などなかったというのが、私の正直な実感である。
しかし1967年に、乗車拒否、無謀運転、過重労働による事故多発などが日雇い運転手のせいだというマスコミ、業界による差別キャンペーンが煽られた中で、タクシーの日雇い運転手を禁止するという運輸省令の改悪がなされた。その結果、タクシー組合員の企業内への囲い込みによる新運転からの脱退が大規模に起こった。
その後、われわれはタクシー組合員の組織を守りながら生コン、清掃、一般トラックなどの多様な運転業務の労供拡大に取り組んできた。しかし、関西、滋賀、埼玉地本では生コン労供への特化が固定化していたために、昨今の生コン業界の未曾有の不況化で厳しい組織財政状況に落ち込んでいる。その一方、東京地本では10年以上前から比較的低賃金の清掃運転業務から作業員への労供職種の拡大と組合員増を実現してきた。更に、企業組合を立ち上げて地域に於ける福祉タクシーから介護事業への展開と共に有限会社タブレットを設立して「供給・派遣」による労供事業拡大にも挑戦している。まさに労働組合の型破りの事業展開と自負するものである。
日本企業の9割以上が資本金300万円以下の中小零細企業であり、その企業の殆どに労働組合がない現実と今や1800万人に近づく非正規労働者の圧倒的多数が未組織であるという現実がある。今まさに労働運動だけでなく日本社会全体の復権、再生が求められている中で、大量に流動する外部労働市場における労働者保護と需給調整をどうするかの解決策が求められている。派遣法などの規制を強化しても、癌の転移と同じでより深刻化するだけである。その問題解決の主導権をわれわれ労働組合が発揮すべきであり、そのための労供事業の拡充と法的制度確立が喫緊の課題となっている。
太田武二
■コンピュータ・ユニオン
コンピュータ・ユニオン(正式な法人登記名は電算労コンピュータ関連労働組合)は1977年に発足した個人加盟の職能組合です。企業に勤める組合員が企業単位で企業支部を構成し、職能支部と呼んでいる労供支部はソフトウェア開発職のSE、プログラマーが所属する、ソフトウェアセクションとOA機器操作のOAスタッフが所属する、スタッフセクションがあります。
コンピュータ・ユニオンでは労働者供給事業の許可を1983年12月に得て、翌年より事業を開始しました。
情報サービス産業におけるSE、プログラマーには個人で働いている個人事業主も多く、また、派遣も常態化しています。2004年10月、11月に東京労働局で行なわれた、「派遣・業務請負適正化キャンペーン」の実施結果報告で情報サービス産業における重大な法律違反として「構造的多重派遣」と「一人請負派遣」の2つが指摘されました。「構造的多重派遣」は多重下請け構造があり、請負契約を行なっているが、実態は派遣(偽装請負)だというものです。「一人請負派遣」も同様に個人事業主として請負契約の下、仕事をしているが、実態は派遣(偽装請負)です。これらは、ともに労働者の供給にあたり、職業安定法の44条違反になります。
情報サービス産業界の多重下請け構造の中では中間業者のマージンがあり、過重な労働を強いられることもあるなど、末端の労働者は劣悪な労働条件の下で働いているケースも多々あります。私たちが労供事業を行う目的は、このような状況の中で、労供労働者がより良い労働条件を確保することで、一般事業者の「派遣」による、過剰なマージンや過重労働などを防止して、派遣労働の改善を担い、ひいては、情報サービス産業の健全な発展に寄与することです。
コンピュータ・ユニオンの労供事業では約100名の組合員が労供で働いています。
多くはエンドユーザやメーカーなどに勤務し、汎用機を利用した、さまざまな業種の業務システムや携帯電話やカーナビゲーションなどの組込みソフトの開発など、さまざまな分野のコンピュータシステム開発に携わっています。
コンピュータ・ユニオンの労供では労供労働者の社会労働保険を適用することができるようになっています。企業組合コンピュータユニオンを1993年に創立し、2001年4月から一般労働者派遣事業の許可を得て、供給・派遣の仕組みの元、労供労働者は社会労働保険の適用を受けて就労できます。
労供事業での賃金は以下の通りになっています。一般企業に勤める場合と比較して、若い時ほど労供で就労する方が有利ということが言えます。
横山南人
コンピュータ・ユニオン労供事業(SE・PG) 賃金実績
年齢幅 | 35~39歳 | 40~44歳 | 45~49歳 | 50~54歳 | 55~59歳 |
2017年7月 平均月収 | ¥6200,000 | ¥596,000 | ¥626,000 | ¥592,000 | ¥662,000 |
2017年7月 平均年収 | ¥7,440,000 | ¥7,152,000 | ¥7,512,000 | ¥7,104,000 | ¥7,944,000 |
2018年7月 平均月収 | ¥630,000 | ¥580,000 | ¥619,000 | ¥596,000 | ¥615,000 |
2018年7月 平均年収 | ¥7,560,000 | ¥6,960,000 | ¥7,428,000 | ¥7,152,000 | ¥7,380,000 |
※千円未満は四捨五入、平均年収=平均月収×12ヶ月